万延小判金
万延小判金は、江戸時代の最後に作られた小判金で、安政小判金に次ぐものです。
特徴
- 重さ:約3.3g
- 品位:金 約56.8%/銀 約43.2%
- 「雛小判」と呼ばれるほど他の小判金よりも小さいサイズ
- 表面には特徴的な紋様である「ござ目」と、額面の「一兩」の文字と後藤光次の極印が刻まれている
- 裏面には後藤光次の花押と験極印が2つ刻印されている
製造
万延小判金は、第14代将軍徳川家茂の政策により、1860年(万延元年)から流通が始まったとされています。
家茂は、混乱した財政を立て直すために公武合体を推進し、改革を行いました。
目的
当時の日本では、金銀比価が海外と比べて大きく異なっていました。
これにより、外国からの銀の持ち込みが増加し、金が国外に流出する事態が起こりました。そのため、金の国外流出を防ぐために、金の含有量を落とした万延小判金が製造されました。
価値
万延小判金は金の含有量が少なく、サイズも小さいため、他の江戸時代の小判金に比べて買取相場が低い傾向にあります。
状態が良くても数万円での取引が一般的ですが、将軍に贈呈するための「献上判」は数十万円で売買されることもあります。
偽物との見分け方
本物と偽物を見分けるためには、重さやサイズ、刻印を確認する必要があります。
偽物は重さやサイズが異なる場合がありますし、刻印が粗悪な場合もあります。
また、裏面の験極印の組み合わせもチェックポイントの一つです。
インフレの影響
万延小判金の製造により、古い小判金の所有者が両替商に殺到し、経済に混乱を招いたとされています。
物価が上昇し、価値が低下したため、1867年に製造停止となりました。